幻の神殿

昭和12年(1937年)「天満宮遷座」の計画がありました。
社殿老朽化のため新築し、一段高い丘の最高部(今の野球場のあたり)に新社殿を遷座する計画でした。
予定地では地鎮祭やお神楽、お稚児行列や記念運動会、その中でも地固め神事として奉納された大相撲は大変なにぎわいを見せました。
詳細について郷土資料である「やぶにらみ磯子郷土誌」(著 葛城峻)に書かれています。
岡村天満宮遷座について書かれている一部をご紹介します。

「やぶにらみ磯子郷土誌」 葛城 峻

天神さまで横綱の土俵入り~なつかしや玉錦・武蔵山・男女の川~

野球場2面にテニスコートやクラブハウスまで備えた岡村公園では毎日元気な声が聞かれます。早春のころには梅林から梅の香りがグランドに漂ってきます。この一帯は岡村天満宮の旧社地ですが、昭和初年から半世紀の間、幾多の変遷を経てきました。戦争で取りやめになった遷座、陸軍高射砲部隊の駐屯、米軍部長の進駐、その後の自衛隊の接収などなど。それでも幸いに今でも多くの緑陰を残し、富士山から房総の山々まで一望することができる景勝地です。

新社殿用地・地鎮祭


数々のできごとの中でも、昭和12年の社殿遷座工事と地鎮祭に合わせた東京大相撲興行はこの地の老人たちに懐かしい思い出を残しています。
由緒古い天満宮が本殿老朽化のため、一段高い丘の最高所に遷座する計画が立てられました。
起伏の多い原野だったので、岡村の青年団や婦人会の人たちが勤労奉仕(今の言葉でボランティア活動)で樹木を伐採し雑草を刈り、荒地をならして新本殿の敷地を整えました。
それまで二の鳥居までしかなかった参道も丘の上に延長され、それが今では磯子台ニュータウンに続く幹線道路になりました。
建築用材は遠く紀州の山奥で切り出した逸品で、横浜港で陸揚げされ飾り立てた牛車に積まれました。
ハッピ姿の大工さんや仕事師さんたちの粋な「木遣り(きやり)」の声で伊勢佐木町大通りを練り歩き、ここまで 運ばれてきました。
造営予定地では名市長だった有吉忠一「閣下」臨席の地鎮祭があり、お神楽やお稚児行列や記念運動会など華々しく行われました。
なかでも人気を集めたのが地固め神事として奉納された東京大相撲でした。

幕内力士の土俵入り

四間道路にはスポンサー付きのノボリが軒並みにたち、丘の上の丸太を組んだ巨大な小屋は横浜中から集まった観衆であふれました。
幕内力士の手に汗握る勝負、横綱たちの四股を踏んでの土俵入り。
「取組表」の中に見える、玉錦、男女の川、武蔵山、鏡岩、大邱山、玉の島、両国、九州山などの名はオールドファンに懐かしい思い出でしょう。
テレビのない時代です。新聞や写真やメンコでしか知らない巨体を目の前にした岡村の子供たちにとって三横綱はまさに英雄でした。
ヨシズ張りの支度部屋に裏のほうから潜り込んで、太い腕にぶら下がったり、厚くて固い太鼓腹をげんこつで叩いたりして大さわぎでした。
タクシーで乗り込んだ玉錦が車から降りるときにはスプリングが元に戻って、車体が20センチも持ち上がったのにはみんな目を丸くしました。

頭山 満 書

天満宮大相撲は残された写真では昭和12年5月26日となっています。
ひと月半ののち7月7日に中国北部の蘆溝橋での一発の銃の銃声により戦争の長い泥沼への第一歩が始まりました。
岡村からも青年が出征し大陸に向かいます。天満宮の社頭は「歓呼の声」に充ちました。
子どもたちは「兵隊送り」が大好きで、いつも行列の先頭に立って電車道まで声をからしました。
(最初のうちは町内あげて賑やかに、後のほうになると機密保持のためとかで誰も知らないうちにこっそり戦場に送られました)

遷座のため山積みされていた資材はすべて軍用資材として戦争に振り向けられました。せっかくみんなで整地した広い新社殿用地はそのまま放置され雑草の伸びるに任せられました。
この丘が再び注目されるのは戦火が太平洋に拡大し空襲が予想されるようになってからです。
突然陸軍の高射砲部隊が駐屯するようになり、四門の砲座が設けられ日夜怒号が飛び交いました。
はじめのうちは陣地の中も丸見えで、「目標三ぜーん、撃てーッ!」と将校が怒鳴るのが聞こえましたが、子どもたちは次第に丘の上から追い払われ近づけなくなりました。
敗戦の後は米軍に接収され、解除になったと思う間もなく陸上自衛隊の高射砲部隊陣地になり、厳重なバラ線の金網が廻らされた「異国」の状態が続きました。
最終的に区民の手に戻ったのは昭和33年のことですから、大相撲興行のときに10歳だった子どもも三十男になっていました。

長い間立ち入り厳禁で、陸軍、米軍、自衛隊と代々の砲座整備で掘り返され、大相撲のころの地形はすっかり変わっていました。
今この地に立てば横綱の太鼓腹に挑んだ子供と同じ年頃の野球少年たちの元気な声援が響き、若い女性のラケットからは軽快な音がこだましてきます。
昭和12年の地鎮祭や大相撲のことを覚えている人も年々少なくなりました。
着飾ったお稚児さん姿で行列している写真の中には、ご長寿の余生を送っている方もおられます。
お孫さんとこの丘に遊ぶとき、少女のころの樹々を渡る風の音や小鳥のさえずりをきっと思い出されることでしょう。

当時の写真